乳がん体験談【第9話-②】転移はなくても終わらなかった不安。父を亡くした直後に知った「がん家系」の現実

※本記事はプロモーションを含みます。

全身の精密検査を受けた結果、幸いにも他の臓器への転移は見当たりませんでした

その言葉を聞いた瞬間、胸の奥に張りつめていたものが、ほんの少しだけ緩んだ気がしました。

「とりあえず、そこは大丈夫なんだ」

けれど、そう思えたのもほんの一瞬でした。

医師は少し言葉を選ぶようにして、こう続けたのです。

「卵巣に水が溜まっているようです。あと、肝臓と腎臓にも腫れが見られます」

頭の中が、一瞬で真っ白になりました。

転移がないと聞いて少しだけ安心しかけた心が、その数秒後には再び深い不安へ引き戻されていく。そんな感覚でした。

さらに詳しい検査が必要とのことで、大学病院への紹介状を渡されました。

乳がんだけでも、まだ受け止めきれていないのに。
検査は、まだ終わらないのか――。

そう思ったとき、心のどこかで小さく何かが崩れる音がした気がしました。

🌙 子宮全摘のあと、行かなかった卵巣検診

数年前、私は子宮筋腫のために子宮を全摘しています。

そのとき、医師から「卵巣の定期検診は、ちゃんと受けてくださいね」と言われていました。

「分かりました」と答えたのに、その後、一度も受診しませんでした。

忙しかったから。余裕がなかったから。毎日を回すだけで精一杯だったから。

理由はいくらでも並べられるのに、心に残ったのは「行かなかった自分」という事実だけでした。

もし、あのとき診てもらっていたら。もっと早く何かに気づけていたのかもしれない。

そんな“もしも”ばかりが頭の中を回り、焦りと後悔が静かに押し寄せてきました。

病気になると、過去の選択を今の苦しさに結びつけ、自分を責めたくなることがあります。

でも本当は、あの頃の私も、あの頃の私なりに毎日を生きることに必死だったのだと思います。それでも、心はなかなか割り切れませんでした。

🕯️ 自分のことは、いつも後回しだった

乳がんだけではなく、次々と見つかる体の異変。検査結果を聞きながら、私はこれまでの暮らしを思い返していました。

生活リズムは不規則で、食事も睡眠も、その日をなんとか乗り切るためのものになっていた気がします。

子どもたちには、できるだけ栄養のあるものを食べさせたい。成長する体に必要なものを与えたい。そこには気を配ってきたつもりです。

でも、その一方で、自分の食事はいつも後回しでした。適当に済ませたり、疲れた日は食べずに眠ったりすることもありました。

「母親」としての役割には必死だったのに、ひとりの人間としての自分には、驚くほど無頓着だったのだと思います。

もっと睡眠をとり、食事を整え、健診を受けていたら、何かが防げたのかもしれない。そんな考えが何度もよぎりました。

もちろん、病気の原因を生活習慣だけで語ることはできません。それでも、「もう少し自分を大切にできていたら」という後悔は、心に残りました。

🤍 父を亡くした数か月後に告げられた乳がん

病院で何度も聞かれたのが、「ご家族に、がんの方はいらっしゃいますか?」という質問です。

そのたびに、少し息を飲むような気持ちになりました。私の家族には、がんを患った人が複数いたからです。

そして、私が乳がんの告知を受けたのは、父を大腸がんで亡くしてから、まだ数か月しか経っていない頃でした。

あまりにも近すぎる別れのあとに、自分自身の病気まで突きつけられる。人生はときどき、本当に容赦がないと思いました。

働き続けた父の背中と、忘れられない言葉

父は、働き者で真面目な人でした。口数は多くなくても、その背中には家族を支えてきた重みがありました。

私が離婚し、3人の子どもを連れて実家に戻ったときも、何も言わずに受け入れてくれました。

「子どもたちがいる方が、賑やかでいい」

責めることも、問い詰めることもなく、ただそこにいてくれた。その静かな優しさに、どれほど救われたか分かりません。

生活を助けるために、父は年齢を重ねても働き続けてくれました。その背中を見ながら、私は何度も「申し訳ない」と「ありがたい」の間で揺れていました。

そんな父を、私は大腸がんで亡くしました。やっと少し自分の時間が持てるかもしれないと話していた矢先の、あまりにも早く切ない別れでした。

💧 「自分はまだ大丈夫」と思っていた

父だけでなく、父の両親もがんを患っています。それでも私は、どこかで「自分はまだ大丈夫」「自分はそちら側ではない」と思っていました。

けれど、その“まさか”の中に、私も入ってしまったのです。

父は病院が苦手で、限界まで受診を拒んでいました。ようやく病院へ行ったときには、すでに末期の状態だったと聞いています。

病院へ行くのが怖かったのか、現実を見たくなかったのか。それとも、自分のことを後回しにし続けてしまったのか。今となっては、父の本当の気持ちは分かりません。

家族のために頑張る人ほど、自分の異変を後回しにしてしまう。その怖さを、私は父の背中と自分の体の両方から思い知らされていたのかもしれません。

🏥 苦い記憶の残る大学病院へ

紹介された大学病院は、自宅からかなり離れた場所にありました。

距離だけでも気が重いのに、その病院名を聞いた瞬間、胸の奥にずしんと重いものが落ちてきました。

そこは、下の子が超未熟児(超低出生体重児)で生まれたときにお世話になった病院だったからです。

病院の空気、廊下の冷たさ、消毒液の匂い。思い出そうとしなくても蘇る、濃い記憶が残っていました。

NICUに通い続けた日々

当時の私は、毎日その病院へ通っていました。小さすぎる我が子がNICUで生きている。その事実だけで、胸が張り裂けそうになる日々でした。

細い管につながれた小さな体を前に、「どうか生きてほしい」と、ただそれだけを祈っていました。

その病院は、わが子の命を救ってもらった場所であると同時に、二度と思い出したくないほど苦しかった場所でもあります。

まさか数年後、今度は子どもではなく自分自身の病気で、再びあの門をくぐることになるとは思いませんでした。

足取りは重く、気持ちは沈んでいました。それでも、行くしかありません。

かつて、わが子の命を繋いでくれたように。
今度は私自身の命を繋ぐ場所になるかもしれない。

🤎 Rino’s Choice|眠れない夜に寄り添うもの

病気のことを考え始めると、横になっても頭の中だけが動き続けることがあります。ここでは、少しでも「休める環境」を整えるための、やさしい暮らしのアイテムを選びました。
すのこベッド ホープ

体を預けたくなる、やわらかなベッド

不安が続くと、体も知らないうちに緊張しています。体を支えてくれる場所は、眠るためだけでなく、張りつめた気持ちを静かに戻す場所にもなります。

楽天市場で見る →
羽毛布団3点セット

気持ちが沈む夜に寄り添う、布団セット

眠れない夜ほど、寝具の心地よさに救われることがあります。夜の自分をきちんと休ませることも、治療へ向かう大切な準備のひとつでした。

楽天市場で見る →
ベッドサイドテーブル

「手の届く安心」を作る、ベッド横収納棚

薬や飲み物、ティッシュ、スマホ。しんどいとき、必要なものがすぐ手に届くだけで、気持ちが少し楽になることがあります。

楽天市場で見る →

🌿 不安をひとりで抱え込まないために

病気、家族、お金、未来。考えることが重なると、心は思っている以上に疲れます。周りに心配をかけたくなくて「大丈夫なふり」をしてしまうときほど、安心して気持ちを話せる場所が必要なのだと思います。

カウンセリングも、心を守るための選択肢のひとつです。誰にも言えない不安や苦しさがあるなら、専門家へ話してみることは決して大げさではありません。

カウンセリングサービス

🏠 Rino’s ROOM

暮らしの中で「そばにあると少し安心する」と感じたものを、楽天ROOMにもまとめています。心や体を休めたい日の参考に、よろしければご覧ください。

Rino’s ROOMを見る →

🌸 まとめ|それでも、一歩ずつ前へ

転移はなかった。その結果だけを見れば、救われたはずの日でした。

けれど現実は、それだけでは終わりませんでした。次々と見つかる体の異変。そして、父を亡くしたばかりの心に重くのしかかった家族の病歴。

父がそうだったように、私も「子どもたちのために」と走り続け、その間、自分の体を後回しにしていたのかもしれません。

それでも、立ち止まったままではいられませんでした。苦い記憶の残る大学病院へ再び向かうことは、過去の自分と今の病気、その両方に向き合うことでもありました。

泣いても、怖くても、心が折れそうでも。隣にいる子どもたちのぬくもりに支えられながら、私はまた一歩ずつ前へ進んでいくしかありませんでした。

📖 次回の記事

「副腎に影がある」――その一言で、日常は再び暗闇に引き戻されました。さらに続く精密検査、持病の喘息、再建手術にも影を落とし始めた新たな問題について綴ります。

【特別編:副腎と喘息】乳がん精密検査で次々と見つかる異常

※この記事は個人の体験をもとに綴ったもので、診断や治療に関する助言を目的としたものではありません。病状・検査結果・治療内容には個人差があります。体調に異変がある場合や不安が続く場合は、自己判断せず医療機関へご相談ください。掲載している商品やサービスは選択肢の一例です。ご自身の体調や状況に合わせてご検討ください。