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緊急帝王切開が決まった直後、私たちの前に新たに立ちはだかったのは、思いもしなかった「輸血」の問題でした。
赤ちゃんを一刻も早く取り出さなければいけない。
でも、その一方で、私自身の命を守るために必要なはずの準備が、思うように進まない。
それは、ただでさえ張りつめていた空気を、さらに重たくしていく出来事でした。
手術前の血液検査で判明したのは、私の体の中に「不規則抗体」があるという事実。
医学的なことを当時の私は詳しく理解できていたわけではありません。
それでも、医師の表情や言葉の重さから、“これはかなり危険な状況なんだ”ということだけは、はっきりと伝わってきました。
今回は、あのとき私たちの前に現れた「もうひとつの命の危機」について、私の言葉で残しておきたいと思います。
普通の輸血ができないと言われた日
私はO型です。
だから私は、どこかで勝手に「何かあっても輸血はしやすいはず」と思っていました。
けれど、実際にはそうではありませんでした。
私の血液の中には、特定の血液成分に反応してしまう「不規則抗体」ができていたのです。
そのため、たとえ同じO型の血液であっても、“普通に輸血すればいい”という話ではなかったのだと説明されました。
もし適合しない血液を入れてしまえば、体の中で反応が起こり、血液が壊れてしまう危険がある。
つまりそれは、命を守るための輸血が、簡単にはできないということでした。
しかも、そのタイミングは大量出血のリスクが高い緊急帝王切開の直前。
「今すぐ赤ちゃんを出さなければいけない」
「でも、もし私が大量出血したらどうするのか」
その現実を突きつけられたとき、私はただ静かに、底の見えない恐怖に飲み込まれていきました。
“助けるための準備”が足りないかもしれない恐怖
妊娠中、いろいろな不安はありました。
前置胎盤、突然の大量出血、ドクターヘリでの搬送、緊急帝王切開――。
短い期間の中で、もう十分すぎるほどの出来事が押し寄せていたはずでした。
それなのに、まだ終わらなかった。
赤ちゃんの命を守るための手術の直前に、今度は「私自身を助けるための血液が、すぐには使えないかもしれない」という現実が目の前に現れたのです。
ベッドの上で横になりながら、私は何もできませんでした。
できることは、説明を聞くことと、ただ祈ることだけ。
「どうか間に合ってほしい」
「どうか赤ちゃんも、私も助かってほしい」
そんなことを何度も心の中で繰り返しながら、
自分の体の中に、こんな“見えないリスク”があったことに、ただ呆然としていました。
日本赤十字社との連携で始まった“血液探し”
病院はすぐに動いてくれました。
私の持つ抗体に反応しない血液――適合する特殊な血液を確保するために、日本赤十字社と連携して対応が始まったのです。
そのとき初めて私は、血液にはABO型やRhだけではなく、もっと細かい条件があることを知りました。
ただ「O型だからO型を入れればいい」という単純な話ではなく、
私の体が反応しない血液を探し出す必要があったのです。
適合血が届くまでに必要だったこと
大まかには、こんな流れで進められていたと聞きました。
- 私の持っている抗体の種類を特定すること
- その抗体に反応しない血液を探すこと
- 見つかった血液を、至急病院へ搬送すること
文字にすると簡単に見えるかもしれません。
でも実際には、これは時間との勝負でした。
緊急帝王切開は、待ってくれません。
赤ちゃんはお腹の中で危険な状態。
でも、私の手術にも安全のための備えが必要。
その狭間で、医療スタッフの方たちは必死に動いてくれていたのだと思います。
病室の空気は、静かなのに、どこかずっと慌ただしくて。
見えない場所で、たくさんの人が私たちの命をつなごうとしてくれていることだけが、かすかな支えでした。
近くのセンターに適合血があったという奇跡
そして、ここでまたひとつ、奇跡のようなことが起きました。
私に適合する血液が、幸運にも比較的近くの血液センターに備蓄されていたのです。
あのときの私は、詳しい状況をすべて把握していたわけではありません。
でも、後から振り返ると、本当にギリギリのところでつながった命だったのだと思います。
もし在庫がなかったら。
もし遠方にしかなかったら。
もし搬送が間に合わなかったら。
そんな「もし」が、いくつも頭をよぎります。
でも現実には、必要な血液が見つかり、必要なタイミングで病院へ届けられた。
それは偶然だけではなく、医師の判断、病院の連携、日本赤十字社の体制、そして誰かの献血がつながって起きた奇跡でした。
あのとき私は、自分では何ひとつ動けない場所にいました。
だからこそ、見えないところで支えてくれていたたくさんの手の存在が、今でも忘れられません。
妊娠をきっかけに起こることがあると知った現実
不規則抗体ができるきっかけには、過去の輸血や妊娠などがあると言われています。
私の場合は、妊娠がきっかけでした。
妊娠して、赤ちゃんを守るために体が変化していく中で、
こんなふうに思いがけないリスクが生まれていることがあるなんて、当時の私は知りませんでした。
それは決して珍しすぎる話ではないけれど、誰にでも起こるわけでもない。
だからこそ、自分がその側にいると知ったときの衝撃はとても大きかったです。
妊娠・出産は、命を迎える喜びにあふれたものとして語られることが多いけれど、
実際には、その裏側でたくさんのリスクと隣り合わせでもある。
私はこのとき、改めてそれを思い知りました。
何事もなく出産できることは、当たり前じゃない。
母体も、赤ちゃんも、無事でいてくれることは本当に奇跡なんだと。
Rino’s Choice|“これから”を少し軽くしてくれる選択肢
あの頃の私は、目の前のことで精一杯でした。
今この瞬間を乗り越えることに必死で、
出産後の暮らしや、お金のこと、これから先の備えまで、冷静に考える余裕なんてほとんどありませんでした。
でも、そういうときほど、ひとりで全部抱え込まなくていい場所があるだけで、気持ちは少し違ったのかもしれません。
ここでは、当時の私に「こういう選択肢もあったよ」と伝えてあげたかったものを、やさしく残しておきます。
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出産や育児が近づくと、赤ちゃんのことだけでなく、家計や将来のことまで一気に不安になることがあります。
そんなとき、ベビープラネットのように、妊娠・出産・子育てのタイミングで“これから”を相談できる窓口があるのは、ひとつの安心材料になるかもしれません。
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※本記事は個人の体験談であり、特定のサービスを強く推奨するものではありません。必要に応じて、ご自身の状況に合った専門家へご相談ください。
出産後に本当に助かったものたち
あのときは、赤ちゃんが無事に生まれてくれることだけで頭がいっぱいでした。
でも、出産を乗り越えたあとには、今度は「小さな命を守りながら暮らしていく日々」が始まります。
特にNICUやGCUに通う日々、退院後の生活、心も体もまだ追いついていない時期は、ほんの少しの「助かった」が想像以上に大きな支えになります。
ここでは、そんな時期にそっと寄り添ってくれるようなものを、やさしくご紹介します。
肌着セット|毎日使うものだから、安心できるものを
赤ちゃんの肌は、本当に繊細です。
とくに小さく生まれた子を前にすると、「大丈夫かな」「痛くないかな」と、触れるものひとつにも神経を使っていました。
やわらかくて着せやすい肌着は、毎日の負担を少し減らしてくれる存在。
何枚あっても困りにくいので、出産準備や退院後の暮らしにも取り入れやすいアイテムです。
沐浴セット|不安だらけの“はじめて”を少しラクに
初めての沐浴は、想像以上に緊張します。
「この持ち方で合ってる?」「お湯の温度は大丈夫?」と、ひとつひとつに不安がつきまといました。
必要なものがまとまった沐浴セットがあると、準備の負担が減って、気持ちにも少し余裕が生まれます。
完璧じゃなくても大丈夫。
“慣れるまでの自分”を助けてくれるものがあるだけで、救われる日もあります。
ベビーサークル|少し目を離す不安を軽くしてくれるもの
赤ちゃんが少しずつ動くようになると、嬉しさと同時に不安も増えていきます。
ずっと抱っこしていたい気持ちはあっても、現実には家事や上の子のこと、自分のこともあります。
そんなとき、ベビーサークルのように“安全な居場所”をつくってくれるものがあると、ほんの少し呼吸がしやすくなります。
全部を頑張りすぎないために。
ママが少しでも心を緩められる工夫も、十分に大切なことだと思います。
命をつないでくれた、たくさんの見えない手
あのとき私は、ただ手術台に向かうしかありませんでした。
自分ではどうすることもできない場所で、
医師、看護師さん、救急搬送に関わってくれた方々、日本赤十字社、そしてどこかで献血をしてくれた誰か――。
本当にたくさんの人の力が重なって、私と赤ちゃんの命はつながれていました。
もし、どこかひとつでも欠けていたら。
そう思うと、今でも胸の奥が静かに震えます。
命は、こんなにも多くの人の善意と努力の上に守られているんだと、私はこの経験を通して知りました。
そして同時に、“無事に生まれること”は当たり前じゃないということも。
あの夜を越えられたこと。
あの手術に進めたこと。
そのひとつひとつが、今思えばすべて奇跡だったのだと思います。
まとめ|それでも、手術は始まった
緊急帝王切開の直前に判明した「不規則抗体」の問題。
それは、ただでさえ危険な出産に、さらに大きな不安を重ねる出来事でした。
それでも、必要な血液が見つかり、たくさんの人の迅速な対応によって、私は手術へ進むことができました。
医師との出会い。
搬送のタイミング。
適合血が近くにあった奇跡。
いくつもの偶然と、いくつもの必死の力が重なって、ようやくここまでたどり着けたのだと思います。
そして次に待っていたのは、“出産したのに、おめでとうと言えない現実”でした。
麻酔から覚めた私が見たもの。
術後の激痛の中で、赤ちゃんの安否さえ聞けなかった空白の時間。
次回は、720gで生まれたわが子と、ようやく向き合うまでのお話を書きたいと思います。
次回記事へ
命をつなぐ手術は終わったはずなのに、私の中には安堵よりも、言葉にできない空白が広がっていました。
「赤ちゃんはどうなったの?」
その一番知りたいことすら聞けないまま、私は術後の痛みと不安の中に取り残されていました。
次回は、“おめでとう”のない出産のあとに始まった、あまりにも静かで苦しい時間について綴ります。
▶︎ 超未熟児【第7話】「おめでとう」のない出産。術後の激痛と、赤ちゃんの安否を聞けなかった空白の3日間
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この体験は、ひとつの出来事だけで語れるものではなく、いくつもの不安と奇跡が重なってここまで続いています。
もしここまで読んでくださった方がいたら、前後のお話もあわせて読んでいただけたら嬉しいです。
※本記事は、筆者自身の実体験をもとに書いています。医療的な診断・治療・判断については、必ず医師や医療機関へご相談ください。
※記事内でご紹介した商品・サービスは、当時の自分に「こういう選択肢もあったかもしれない」と感じたものを、個人の視点でご紹介しています。

