【特別編:副腎と喘息】乳がん精密検査で次々と見つかる異常。副腎の腫れ、持病の喘息、そして再建手術の現実

人生の軌跡と体験談

※本記事は、乳がんの精密検査や通院の中で実際に感じたことを綴った個人の体験談です。
また、一部プロモーションを含みます。

今日は、大学病院での最終検査の日でした。

7月に乳がんを告知されてからというもの、私の体はまるで静かに悲鳴を上げるように、次々と“別の不調”を見せ始めました。

最初は、乳がんのことだけで頭がいっぱいでした。
けれど、検査を重ねていくたびに、今まで気づかずにいた体の異変が、少しずつ浮かび上がってきたのです。

副腎の腫れ。
卵巣への不安。
肝臓の所見。
そして、昔から抱えてきた喘息。

ひとつ不安が見つかるたびに、「次は何が出てくるんだろう」と心がざわついて、気持ちが休まる日はほとんどありませんでした。

でもその一方で、こうして自分の体を細かく調べてもらえる今だからこそ、これまで見過ごされてきたものと、ちゃんと向き合える時間でもあったのだと思います。

今日はそんな、“乳がんの陰で起きていたもうひとつの現実”について残しておきたいと思います。

未知の臓器「副腎」と向き合った、長い2か月

がんの広がりを調べるために受けたCT検査で、偶然見つかった左側の「副腎(ふくじん)」の腫れ。

それまで私は、副腎という臓器の存在すらほとんど知りませんでした。

心臓や肺のように、名前を聞けばすぐイメージできる臓器ではなくて。
自分の体の中にそんな場所があることすら、深く意識したことがなかったのです。

けれど、その“小さな臓器”が見つかったことで、私は内分泌内科へ回され、そこから約2か月にわたる検査生活が始まりました。

何度も病院へ通い、何度も説明を受け、何度も採血をして。
「乳がんの検査だけでも精一杯なのに」と思いながら、それでも立ち止まるわけにはいきませんでした。

絶食、点滴、採血…静かな検査室で感じたこと

ある日は、朝から絶食で病院へ。

検査のためにベッドに横になり、点滴を入れながら、時間をかけて採血をしていく――そんな流れでした。

「2時間ほど、このまま安静にしてくださいね」

そう言われた時、正直なところ最初は少し戸惑いました。

2時間。
何もせず、ただ横になって待つだけの時間。

スマホも見られず、誰かと話すこともなく、ただ静かな部屋の中で、自分の呼吸と点滴の存在だけを感じる時間でした。

けれど、不思議なことに、私はそのまま深く眠ってしまいました。

普段の私は、日中にゆっくり眠ることなんてほとんどありません。
家のこと、子どものこと、やるべきことに追われて、気持ちだけがいつも先に走っているような毎日だからです。

そんな私が、何もできない状態に置かれて、ようやく眠れた。

それはどこか皮肉で、少し切なくて。
病気がくれた、強制的な休息のようにも感じました。

「今すぐ治療は不要」と言われても、安心しきれなかった

最終的な検査結果は、「ホルモン分泌は正常」というものでした。

今すぐに治療が必要な状態ではない。
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥に詰まっていたものが、少しだけほどけた気がしました。

けれど、完全に終わったわけではありませんでした。

今後5年間、年に一度の定期検診が必要。
つまり、「大丈夫だった」で終われる話ではなく、これから先も見守り続けていく必要があるということでした。

たとえ小さな異常でも、自分の体の中に“経過観察が必要な何か”があるという事実は、思っている以上に心に残ります。

何も知らなかった頃には戻れない。
でも、知らなかったままでいるより、きっとよかったのだとも思いました。

この時私は、自分の体の中にある“名前も知らなかった臓器”と、これから静かに付き合っていく覚悟を持つことになったのです。

持病の喘息が教えてくれた「呼吸できること」のありがたさ

乳がんの検査や手術の準備が進む中で、もうひとつ気がかりだったのが、長年付き合ってきた喘息でした。

普段は落ち着いていても、体調や環境、薬との相性によって、いつ急に悪化するかわからない。

それが喘息という病気の怖さだと思っています。

私にとって「ちゃんと呼吸ができること」は、決して当たり前のことではありません。

風邪薬をきっかけに起きた、忘れられない発作

7〜8年ほど前のこと。
風邪をひいた時に飲んだ薬をきっかけに、私は突然ひどい発作を起こしました。

息が吸えない。
苦しい。
胸が締めつけられて、頭が真っ白になる。

「このまま本当に意識が遠のいてしまうかもしれない」

そう思うほどの恐怖を、私はあの時はっきりと感じました。

呼吸というのは、普段あまりにも自然に行っていることだからこそ、失いかけた時の恐ろしさが大きいのだと思います。

それ以来、私は喘息の薬を切らさないようにしながら、ずっと慎重に付き合ってきました。

乳がんの治療が始まる中でも、その“もうひとつの不安”はずっと心の片隅にあり続けていました。

病気だけじゃない。人との関わりにも傷ついた日

病気になると、向き合わなければならないのは、病名や検査結果だけではありません。

誰に診てもらうか。
どこで治療を受けるか。
どの先生を信頼して、自分の命を預けるか。

そうした“人との関係”もまた、とても大きな意味を持つのだと、今回あらためて痛感しました。

持病の喘息を診てもらっていた病院で、思いがけず傷ついた日

喘息で1〜2年ほど通っていた近所の病院で、どうしても忘れられない出来事がありました。

乳がんの診断を受けたことを、その先生に報告した時のことです。

私はただ、これから大学病院で治療を受けていくことになると伝えたかっただけでした。
病気が見つかったことへの不安もあったし、これまで喘息で診てもらってきたからこそ、きちんと話しておきたいという気持ちもありました。

本当はその時、
「大変だったね」
「それは不安だったでしょう」
そんなふうに、少しでも気持ちに寄り添う言葉をかけてもらえたら――
それだけで、どれほど救われただろうと思います。

でも返ってきたのは、私が想像していたものとはまったく違う言葉でした。

まるで、
「相談もなしに大きな病院へ行くなんて」
そう責められているように感じる空気だったのです。

その瞬間、胸の奥がすっと冷たくなるのを感じました。

乳がんと向き合うだけでも、心も頭もいっぱいいっぱいなのに。
「大きな病院で詳しく診てもらう」という選択が、そんなふうに受け取られることなのだろうか。
私はただ、自分の体のために、今できる最善を選びたかっただけなのに――。

うまく言葉にできないまま、その場で気持ちを飲み込むしかなかったことが、あとからじわじわと苦しくなりました。

「大丈夫ですよ」と受け止めてくれた先生の存在

その後、以前お世話になっていた別の先生の元へ戻ることになりました。

不安を抱えたまま診察室に入った私に、その先生はにっこり笑って、やさしくこう言ってくれたのです。

「大丈夫ですよ」

たったそれだけの言葉なのに、胸の奥に張りつめていたものが、ふっとほどけていくようでした。

病気と向き合う時、人は“正しい治療”だけで支えられるわけではないのだと思います。

ちゃんと話を聞いてくれること。
責めずに受け止めてくれること。
安心して身を預けられること。

そういう小さな信頼の積み重ねが、どれほど心を支えてくれるのか。
私は今回、それをあらためて痛感しました。

形成外科で突きつけられた、再建手術の現実

副腎の結果にひとまず安堵し、喘息の薬のことも整えて。
少しだけ心を落ち着けたその先で、私はまた大きな現実を突きつけられることになりました。

それが、形成外科での説明です。

乳がんの手術そのものももちろん大きな出来事ですが、私にとってはその先にある「再建」も、とても大切なテーマでした。

失うことを受け入れるだけでなく、その先の自分をどう生きていくのか。
女性として、自分の体をどう受け止めていくのか。

それは、見た目だけの問題ではなく、心の問題でもありました。

私が希望していたのは「自家組織再建」だった

私が希望していたのは、自分のお腹の組織を使う「自家組織再建」でした。

インプラントではなく、自分の一部を使って、失った胸を取り戻したい。
そう思ったのです。

もちろん、そのためには手術時期の調整も必要で、場合によっては2月頃まで待つ可能性もあると聞いていました。

それでも私は、少し時間がかかっても、自分が納得できる形を選びたいと思っていました。

けれど、その希望の先に待っていたのは、想像以上に厳しい現実でした。

「胸の真ん中にも傷が残る」――その言葉の重さ

診察室で医師から見せられたのは、手書きで描かれた術後イメージの図でした。

そこには、私が思っていたよりもずっとはっきりと、術後の傷跡が描かれていました。

お腹に長く傷が残ることは、ある程度覚悟していました。
でも、医師が説明したのは、それだけではありませんでした。

「再建した胸の中央に、楕円を描くような大きな術跡が残ります」

その言葉を聞いた瞬間、頭の中が一瞬止まったような気がしました。

胸を失うことだけでも十分苦しいのに、取り戻そうとした先にも、また新しい傷が残る。

「戻したい」と願うほど、傷が増えていく。

その現実は、想像以上に残酷でした。

乳頭再建の現実に、さらに心が揺れた

さらに医師から告げられたのは、
「乳頭まで再建する人は、実際にはそれほど多くない」という現実でした。

もちろん、それぞれに事情や考え方があって、どの選択が正しいという話ではありません。

でも私の中では、“失ったものを少しでも元に戻したい”という思いが、どこかに確かにありました。

だからこそ、その説明を聞いた時、胸の奥にじわっと広がる喪失感を止めることができませんでした。

見た目の問題じゃない。
でも、見た目の問題でもある。

女性として、自分の体をどう受け止めるか。
その難しさを、私はこの日あらためて突きつけられた気がしました。

診察室で涙がこぼれそうになるのを、私は必死でこらえていました。

Rino’s Choice|通院の日々を少しだけ楽にしてくれたもの

検査から検査へ。
診療科から診療科へ。

大学病院の長い廊下を何度も歩く日々の中で、私は「ほんの少しでも自分を楽にしてくれるもの」の大切さを、すごく感じるようになりました。

病気そのものを軽くしてくれるわけではないけれど、通院の日の疲れや不安を、少しだけ和らげてくれるもの。

そんな視点で、自然に役立ったものをここに残しておきます。

通院バッグ|書類も羽織りも、全部ひとまとめにできる安心感

病院へ行く日は、とにかく荷物が増えがちでした。

診察券、お薬手帳、紹介状、検査結果、ペットボトル、羽織りもの、時には軽食まで。
気づけば、思っている以上にたくさんのものを持ち歩いていた気がします。

そんな時、軽くて肩にかけやすく、A4書類がすっと入る通院バッグがあるだけで、移動のストレスがかなり違いました。

“病院に行くためのバッグ”というより、
「今日は自分の体を守るための日」と気持ちを整えるための相棒のような存在だった気がします。

ポーチ|診察券や薬をひとつにまとめる、小さな整え役

通院が続くと、細かなものが本当に増えます。

診察券、保険証、薬、リップ、目薬、予備のマスク。
バッグの中でバラバラになってしまうと、それだけで気持ちが落ち着かなくなることもありました。

そんな時に役立ったのが、ひとつにまとめられるポーチです。

大げさなものではなくても、「必要なものがすぐ出せる」というだけで、病院での不安や疲れが少しやわらぐことがあります。

小さな整えが、心の整えにもつながっていた気がします。

水筒|待ち時間の長い日こそ、ほっとできる飲み物を

検査や診察の待ち時間は、思っている以上に長く感じるものです。

そんな時、冷たい水や、少し温かい飲み物が手元にあるだけで、気持ちがふっと緩む瞬間がありました。

特に体調が揺らいでいる時は、売店まで行くことすらしんどい日もあります。

だからこそ、自分のタイミングでひと口飲める水筒は、思っていた以上に頼れる存在でした。

大きな支えではなくても、こういう小さな“快適”が積み重なることって、意外と大事なんですよね。

保険のことも、あと回しにしないと決めた

病気が見つかると、心も体もそれだけで精一杯になります。

でも実際には、その先にある「お金のこと」や「家族のこと」も、避けては通れませんでした。

治療費のこと。
入院や手術のこと。
もしもの時に、家族へどれだけ負担を残さずに済むのかということ。

これまでどこかで後回しにしていたことが、乳がんをきっかけに一気に現実味を帯びてきた気がします。

無理に決めなくても、「知っておくこと」が安心につながる

正直、病気の不安を抱えている最中に、保険のことまで考えるのはしんどいです。

でも、何も知らないままでいることも、また別の不安を増やしてしまうのだと思いました。

「今すぐ加入しなきゃ」ではなくても、
「自分にはどんな選択肢があるのか」を知っておくことは、それだけで安心につながることがあります。

私自身も、“今後の暮らしを守る準備”のひとつとして、少しずつ考えていこうと思えるようになりました。

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ひとりで抱え込まず、まずは情報を知るところから始めてみるのもひとつの方法だと思います。

乳がんの先に見えたのは、「これからの自分を大切にする」ということ

検査から検査へ。
診療科から診療科へ。

病院の長い廊下を歩きながら、私は何度も周囲を見渡しました。

そこには、小さな子どもたちも、もっと重い病と向き合っている人たちもいて。
それぞれが、それぞれの事情を抱えながら、静かに自分の順番を待っていました。

「どうして私だけが」

そう思ってしまう夜がなかったわけではありません。

でも今振り返ると、この時間はただつらいだけのものではなかったのかもしれないとも思います。

自分の体の不調を一つひとつ洗い出し、ちゃんと向き合っていくこと。
それはある意味で、これからの人生をよりよく生きるための“見直し期間”のようでもありました。

私はこれまで、家族のために、生活のために、毎日を走り続けてきました。

でもこれからは、自分の体も、もっと大切にしていきたい。

無理をしすぎないこと。
心を置き去りにしないこと。
安心できる選択肢を、少しずつ増やしていくこと。

それが今の私にとって、本当の意味で“生きていく準備”なのだと思っています。

まとめ|失ったものだけじゃなく、小さな光もちゃんとあった

乳がんという一本の糸をたぐり寄せた先で、私は自分の体の弱さや繊細さを、次々と知ることになりました。

副腎の腫れ。
喘息への不安。
そして、再建手術の厳しい現実。

どれも簡単に受け止められるものではなくて、心が追いつかないまま時間だけが過ぎていくような感覚の日もありました。

それでも、その中にはちゃんと“小さな光”もありました。

副腎に今すぐの異常がなかったこと。
信頼できる先生にもう一度出会えたこと。
自分の体を、ひとつずつ知ることができたこと。

失ったものや、不安ばかりに目が向いてしまう日もあるけれど、そういう小さな安心をつなぎとめながら、私はまた少しずつ前を向いていきたいと思っています。

体の構造は本当に奥深くて、そして心はそれ以上に繊細です。

夕暮れの病院を後にしながら、私は自分にそっと言い聞かせました。

「大丈夫。こうして、自分の体を知ることができているのだから」

次回記事へ

実はこの時期、私の体にはもうひとつの“限界”が訪れていました。

喘息の持病を抱えながら挑んだ、鼻の緊急手術。

それは、乳がんの手術を前に経験した、人生で最も過酷で、忘れられない1時間の記録でした。

痛みも、不安も、恐怖も。
あの時の私は、想像以上にギリギリのところにいたのだと思います。

▶︎ 次回記事:
【特別編:鼻の手術】乳がん告知の裏で起きたもう一つの悲劇。顔面の激痛と「難病の疑い」の記録へ

この記事について

この記事は、乳がんの精密検査や通院・再建についての個人の体験談をもとに綴っています。
症状や検査内容、治療方針、再建方法などは、年齢・体質・病状・医療機関によって大きく異なります。

医療や保険に関する判断については、必ず主治医や専門家にご相談ください。

また、記事内でご紹介した商品やサービスは、当時の私の気持ちや生活の中で「こういうものがあると少し助かるかもしれない」と感じた選択肢のひとつです。
すべての方に合うとは限らないため、ご自身の状況に合わせてご判断ください。

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