超未熟児【第3話】ドクターヘリで繋がれた24週の命。再出血の夜に集結した医療チーム

人生の軌跡と体験談

穏やかに見えていた入院生活は、またしても深夜の異変で一変しました。

24週まで、どうにかお腹の中で育ってくれていた我が子。
トイレ以外の時間はできるだけベッドの上で安静に過ごし、「このまま少しでも長く、お腹にいてくれますように」と祈るような気持ちで毎日を送っていました。

けれど、その夜。
トイレに立った瞬間、私は再び大量の出血に見舞われたのです。

一気に血の気が引く感覚。
慌ただしくなる病棟。
遠のいていく意識の中で、私はただ、止めようのない涙を流していました。

「ここの病院でも、もう無理なの……?」

その言葉を口に出すことすら苦しくて、
ただ胸の中で、何度も何度も同じ問いを繰り返していました。

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24週の再出血。崩れていく“このまま大丈夫かもしれない”という希望

絶対安静の生活は、息が詰まるほど不自由ではあったけれど、どこかで私は信じたかったのだと思います。

「ここまで来たのだから」
「きっと、まだ頑張れる」

そんな小さな希望を、胸のどこかで手放さずにいたのです。

でも再び起きた大量出血は、その淡い期待を一気に押し流していきました。

目の前の空気が変わっていくのが分かる。
スタッフの声が慌ただしく飛び交い、病室の空気が緊張で張りつめていく。

私はお腹を守るように手をあてながら、
ただひたすら、「お願い、まだだめ。まだ生まれないで」と心の中で繰り返していました。

自分が苦しいとか、怖いとか、もうそんなことよりも、
お腹の中のこの子の命だけが気がかりでした。

「産みたい」と願うことは、母のエゴなのかと思った夜

受け入れ先を探すスタッフの声が、途切れ途切れに耳に入ってきました。

その中で、嫌でも浮かんでくる言葉がありました。

「生まれても障害が残る可能性が高い」
「視力が残るかどうかも分からない」

24週という現実の重さ。
その数字が持つ意味を、私はこの時あまりにも痛いほど思い知ることになります。

(この子は、生まれてきて幸せになれるのだろうか)

(それでも産みたいと願う私は、母としてエゴなのだろうか……)

全力で守りたい。
何としてでも生きてほしい。

その一方で、もしこの子がこの先、想像を絶する苦しみを抱えることになるのだとしたら――
私は何を願うべきなのか、分からなくなっていました。

母としての本能と、あまりにも過酷な未来予想図。
その間で心は激しく揺れ、ただ祈ることしかできませんでした。

今、もし同じように不安な夜を過ごしているお母さんがいるなら、伝えたいことがあります。

どうか、お腹の赤ちゃんのためにも、まずはあなた自身の体を一番に大切にしてあげてください。

わずかな可能性を信じて、自分の体を守り整えること。
それもまた、お母さんにしかできない立派な“戦い”なのだと、今なら思います。

緊急搬送を前に、あって助かった入院まわりのもの

こうした緊急の場面では、気持ちはもちろん、身の回りのことまで考える余裕はほとんどありません。

それでも振り返ると、ほんの小さな持ち物に助けられた場面がありました。

入院は、ただ治療を受けるだけの時間ではなく、
不安と緊張の中で、心と体をなんとか保ち続ける時間でもあります。

そんな中で「少しでも自分を守れるもの」があることは、思っていた以上に大きかったように思います。

必要なものをまとめやすい入院バッグ

急な移動や長引く入院では、必要なものをすぐ取り出せるバッグがあるだけで安心感が違います。
書類やタオル、飲み物、細かな日用品まで、ひとつにまとめておける入院バッグは想像以上に助かりました。

冷えや不安な時間に寄り添うタオルケット

病院の空調や深夜の静けさの中では、想像以上に心細さが増していきます。
軽くてやわらかいタオルケットが一枚あるだけで、体だけでなく気持ちまで少し落ち着くことがありました。

張りつめた毎日に、自分をいたわるスキンケアセット

不安でいっぱいの時ほど、自分のことは後回しになりがちです。
でも顔をやさしく整える数分だけでも、「まだ自分を大切にしていい」と思えることがありました。

どれも劇的に何かを変えるものではありません。
それでも、張りつめた時間の中で自分を少し守ってくれる存在だったように思います。

受け入れ先が見つからない現実と、逆子という壁

激しい風の音で、意識が少し戻りました。

私はタンカーに乗せられ、屋外へ運ばれていました。
田舎の丘の上。砂利道をガタガタと進む振動が体に伝わってきます。

この時、搬送先がなかなか決まらなかったのには、はっきりとした理由がありました。

超未熟児であること。
そして、逆子であること。

当時、その両方に対応できる病院は極めて限られていました。

受け入れ可能とされる大きな病院はどこも満床。
時間だけが、無情に過ぎていく。

命をつなぐために一刻を争っているのに、受け入れ先がない。
その現実は、あまりにも非情でした。

そんな中で、最後の希望として要請されたのが、ドクターヘリだったのです。

動き出した緊急医療チーム。多くの人の手で繋がれた命のバトン

奇跡は、確かに起こりました。

「超未熟児の受け入れは現在1000g以上のみ」

そうされていた別の大きな病院が、私たちのために急遽、緊急医療チームを組んでくれることになったのです。

「受け入れ許可が出ました!」

その声を聞いた瞬間の安堵感を、私は今でも忘れられません。

近くに頼れる病院が、ほとんどない。
その絶望的な状況の中で、私たちのために人が動いてくれた。

見知らぬ誰かが、今この瞬間も必死に命を繋ごうとしてくれている。
その事実が、どれほど心強かったか分かりません。

医師、看護師、救急スタッフ、そして受け入れ先の医療チーム。
たくさんの方の判断と行動によって、ようやく一本の道が開かれたのです。

あの夜の私は、自分ひとりでは何もできませんでした。
でも、多くの人の手によって、小さな命のバトンは確かに繋がれていきました。

テレビの中の出来事のような現実。私たちは空へ飛び立った

ドクターヘリなんて、テレビのドキュメンタリーの中だけの存在だと思っていました。

まさか自分が、その機内に乗ることになるなんて。

強い風。
騒音。
慌ただしく動く人たち。

まるで現実ではないような景色の中で、私はただ、お腹の子の命だけを思っていました。

「頑張って、生きて」

周りのすべての人への感謝と、我が子への祈りを胸に、私たちは空へと飛び立ちました。

多くの人の手で繋がれた、この小さな小さなバトン。
どうか、この子の未来に繋がってほしい――。

ただ、それだけを願っていました。

不安な夜に、自分の心を整えるための選択肢

命に関わるような出来事の直後は、体だけでなく心も極度に張りつめています。

頭では分かっていても、不安が止まらない。
ひとりで抱え込んでしまう。
そんなことも少なくありません。

あの頃の私も、目の前のことに必死で、自分の心をどう扱えばいいのか分からなくなっていました。

だからこそ今は、必要な時には人に頼ること、話を聞いてもらうことも大切だと思っています。

Rino’s Choice|一人で抱え込まないためのカウンセリングという選択

不安や張りつめた気持ちは、ひとりで抱え込み続けるほど苦しくなることがあります。

誰かに話すこと。
自分の気持ちを整理すること。
それだけでも、心が少し軽くなることがあります。

もし今、苦しさの出口が見えにくいと感じているなら、専門家に頼ることも決して弱さではありません。

自分の心を守ることもまた、大切な一歩なのだと思います。

まとめ|24週の命を空へ運んだ、最後の希望

空の上で祈り続けた、24週の命。

ドクターヘリという“最後のバトン”が繋がったのは、医療の最前線で戦う方々の情熱と、わずかな可能性を諦めない強い意志があったからこそでした。

絶望の淵に立たされていても、見知らぬ誰かが一生懸命に命を繋ごうとしてくれる。
その温かさと重みに、私は何度も救われました。

でも、辿り着いた先に待っていたのは、安堵だけではありませんでした。

搬送先の病院で、私たちはさらに想像を超える試練と、
親として最も残酷な“選択”に向き合うことになります。

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ドクターヘリで繋がれた小さな命。

緊迫した夜の中で、多くの医療スタッフに支えられながら、私はただお腹の子を守りたい一心でその場にいました。

けれど、本当の苦しさはまだ終わっていませんでした。

次に待っていたのは、想像を超えるほど過酷な検査と、医師から静かに告げられた厳しい現実。

「22週の壁」――
その言葉の重みを、私はこのとき初めて知ることになります。

母として、どう受け止めればいいのか。
どう祈れば、この命を守れるのか。

先の見えない不安の中で、それでも希望を手放したくなかった、あの日の記録です。

▶ 超未熟児【第4話】麻酔なしの激痛検査。そして医師から告げられた「22週の壁」と重い宿命

※本記事は個人の体験談であり、特定の食品・商品・サービスによる治療や予防を推奨するものではありません。
※心身の不調や不安が強い場合は、自己判断せず医療機関や専門家へご相談ください。
※あくまで個人の体験であり、診断や治療については必ず医療機関の指示に従ってください。

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