乳がん体験談【第9話-①】精密検査の結果。転移なしの安堵と、私が選んだ「一次再建」という決断

人生の軌跡と体験談

乳腺外科の初診から、2ヶ月半。

先日受けたX線やMRIの結果を聞き、これからの治療方針を決める日が、ついにやってきました。

診察日が近づくにつれて、心は落ち着くどころか、静かにざわついていきました。

「転移はあるのだろうか」
「この先、私はどうなるのだろうか」
「本当に、この選択でいいのだろうか」

考えないようにしても、頭のどこかでずっとその不安が離れない。

それでも、その日は必ずやってきます。

どれだけ怖くても、聞かなければいけない。
どれだけ揺れていても、自分の体のことを、自分で決めなければいけない。

この日は、そんな大きな現実と向き合う一日でした。

※本記事はプロモーションを含みます。

「どの術式にするか」を決める日が来た

医師からは事前に、こう言われていました。

「次回までに、どの術式でいくか決めてきてください」

その言葉は、短いのにとても重くて。
診察室を出たあとも、ずっと胸の奥に残っていました。

初期段階とはいえ、私のがんは広範囲に広がっていました。

温存できる可能性はなく、右胸の全摘は避けられない――。

その現実を、私は少しずつ受け入れようとしていました。

「治すために必要なこと」だと頭ではわかっていても、やはり“胸を失う”という事実は、簡単に飲み込めるものではありませんでした。

命を守ることが最優先。
そうわかっていても、女性としての感情まで消えるわけではありません。

体の一部を失うことは、見た目だけの問題ではなく、自分の気持ちや、自分らしさにも深く関わることでした。

悩みに悩んで出した「一次再建」という答え

最初の頃の私は、とにかく気持ちに余裕がありませんでした。

「もう悪いところを取ってもらえれば、それでいい」
本当に、ただそれだけでした。

怖さも、不安も、ショックも大きすぎて、その先のことまで考える余裕なんてなかったのです。

でも、時間が少しずつ経つにつれて、心の中に別の気持ちが芽生えてきました。

――再建という選択肢です。

病院から渡されたパンフレットを何度も読み返し、ネットの情報も見ました。
けれど、情報が多ければ多いほど、かえって心が迷ってしまうこともありました。

そんな中で、一番私の支えになったのは、病院で手渡されたあの冊子でした。

華やかな言葉も、過剰な期待もなく、ただ淡々と現実が書かれている。
その“静かな説明”が、むしろ私にはありがたかったのだと思います。

そして、悩みに悩んだ末に、私は一次再建(同時再建)を選ぶことにしました。

全摘と同時に再建を行う方法です。

この選択が正解かどうかなんて、その時の私にはわかりませんでした。
でも、「何もかも失うだけでは終わりたくない」という気持ちが、確かにそこにありました。

インプラントを選ばなかった理由

再建方法として、インプラント(人工乳房)という選択肢もありました。

体への負担が比較的少なく、手術の内容としても受け入れやすい方法です。

けれど、私の中にはどうしても拭えない引っかかりがありました。

体温が感じられないこと。
将来的な劣化や、再手術の可能性。
そして、自分の体の中に“人工物”を抱えて生きていくことへの不安。

どれも人によって受け止め方は違うと思います。
実際に、インプラント再建を前向きに選ばれる方もたくさんいるはずです。

でも、少なくとも私には、その選択はしっくりきませんでした。

だから私は、自分の組織で再建する方向へと気持ちを固めていきました。

あえて選んだ「お腹の組織」での再建

自家組織での再建には、大きく分けて「お腹の組織」を使う方法と、「背中の組織」を使う方法がありました。

説明を聞く中で、比較的回復が早そうに感じたのは背中の組織を使う方法でした。

正直、かなり迷いました。

体力的なこと、術後の生活、痛み、傷跡。
どれをとっても簡単な話ではありません。

それでも最終的に私は、あえてお腹の組織を使う方法を選びました。

リスクが高いことも、負担が大きいことも、ちゃんとわかっていました。

それでもその方法を選んだのは、自分の中で「これが一番納得できる」と思えたからです。

「またお腹に傷が増えるんだな……」

そう思った時、胸の奥が少しだけきゅっと痛みました。

これ以上、自分の体に傷が増えていくことが、決して平気だったわけではありません。

むしろ、できることなら何も増えてほしくなかった。

でもその一方で、私はどこかで思っていたのかもしれません。

この傷は、ただ失うためのものじゃない。
これから先を生きていくための、私なりの選択の跡なんだ、と。

そう思わないと、前に進めなかったのかもしれません。

娘に付き添ってもらった日、母として込み上げた後悔

この日は、家族同伴が必須の診察でした。

そのため、娘に仕事を休んでもらい、一緒に病院へ来てもらいました。

隣に座る娘の横顔を見ながら、私は何度も心の中で同じことを繰り返していました。

――ごめんね。

娘は、私と性格がよく似ています。

言葉にしなくても、いろいろなことを察してしまうところ。
平気なふりをしていても、ちゃんと傷ついているところ。
そういうところまで、よく似ている気がします。

だからこそ、余計に苦しかった。

子どもたちが幼かった頃の私は、毎日を生きることに必死でした。

働いて、働いて、生活費を稼いで。
目の前の暮らしを守ることだけで精一杯で、“母親らしいこと”をしてあげられた記憶があまりありません。

授業参観も、行けないことが多かった。
学校行事だって、十分に付き添ってあげられなかった。

本当はもっと、当たり前のことをしてあげたかったのに。

「あの時は、本当にごめんね」

そんな言葉が、今さらになって胸の中を何度も巡りました。

ようやく少しずつ、子どもたちと穏やかに向き合える時間ができてきたと思った頃に、自分の体にはいろいろな異変が起き始めている。

なんて皮肉なんだろう、と感じました。

この子の未来に、私の病気が影を落としてしまうかもしれない。
そんなことまで考えてしまって、胸が苦しくなりました。

でもその日、娘がただ隣にいてくれたこと。
それだけで、私はどれほど救われていたかわかりません。

崩れ落ちそうになる心を、静かに支えてくれる存在が、確かにそこにありました。

精密検査の結果。転移はなかった――でも、不安は終わらなかった

いよいよ、検査結果を聞く時間。

あの瞬間の空気は、今でも忘れられません。

先生の口から出る一言ひとことを、息を止めるような気持ちで聞いていました。

そして結果は――

他の臓器への転移は、ありませんでした。

その言葉を聞いた時、まず最初に感じたのは、安心というより“力が抜けるような感覚”でした。

よかった。
本当によかった。

その一言だけでは足りないくらい、胸の奥に大きな安堵が広がっていきました。

でも、その安心は長くは続きませんでした。

医師が続けてこう言ったのです。

「左の胸にも、少し気になるところがあります」

……その瞬間、また心が深く沈みました。

せっかく少し息ができたと思ったのに、また別の不安が目の前に置かれる。

「まだ終わらないの?」
そんな気持ちでした。

とりあえずその場でエコーをしてもらい、すぐにどうこうという状態ではないものの、今後も定期的にしっかり経過を見ていく必要があると言われました。

「今すぐ命に関わるものではない」

その言葉に少し救われながらも、心のどこかはずっとざわついたままでした。

“大丈夫”と“安心できない”が同時に存在しているような、なんとも言えない感覚。

病気というものは、白か黒かではなく、こうして曖昧な不安を長く抱えさせるものなのだと、その時あらためて思いました。

体に見つかった、いくつかの小さな異変

さらにその日は、他にもいくつか小さな異変を指摘されました。

すぐに大きな問題になるものではない。
けれど、「何もない」わけでもない。

その積み重ねが、じわじわと心にのしかかってきました。

もしかしたらこれまで、自分の体をあまりにも後回しにしすぎてきたのかもしれない。

疲れていても無理をして、多少の不調は見ないふりをして。
「まだ大丈夫」と言い聞かせながら、ずっと走り続けてきた日々。

そのツケが、今になって一気に出てきたのだろうか――。

そんなことを考えてしまい、責めるような気持ちが自分の中に広がっていきました。

ただただ「無」だった、あの日の診察室

検査結果を聞き終えたあと、私はしばらく感情が動きませんでした。

悲しいとか、怖いとか、悔しいとか。
そういう言葉にすらならない。

ただ、でした。

安心も、不安も、ショックも、いろんな感情が一度に押し寄せすぎて、心が処理しきれなくなっていたのだと思います。

娘が隣にいる。
先生が何か説明してくれている。
ちゃんとその場にいるのに、どこか自分だけ少し離れた場所にいるような、不思議な感覚でした。

自分の体なのに、自分のものじゃないみたい。
自分の人生なのに、自分でコントロールできないみたい。

そんな無力さが、静かに、でも深く胸に広がっていきました。

病気になるということは、ただ治療を受けることだけじゃない。
こうして少しずつ、自分の“当たり前”が崩れていくことでもあるのだと思います。

でもその一方で、その崩れていく中でも、自分で選び取らなければいけないものがある。

そのひとつが、私にとっての「一次再建」だったのだと思います。

一次再建は、胸の形だけの問題ではなかった

この日、私が下した「一次再建」という決断は、ただ見た目を整えるためだけのものではありませんでした。

もちろん、女性としての気持ちがまったく関係なかったとは言いません。

でも、それだけではなかった。

それはきっと、病気にすべてを持っていかれないための、私なりの小さな抵抗だったのだと思います。

「私は、これからも私として生きていきたい」

その気持ちを、ちゃんと自分で守りたかった。

たとえ怖くても、たとえ完璧じゃなくても、失うだけで終わりたくなかった。

病気になると、どうしても“治療の対象”として自分を見てしまいがちです。
でも本当は、その前にひとりの人間であり、ひとりの女性であり、生活者であり、母でもある。

その全部を、病気に塗りつぶされたくなかった。

だから私は、自分の中で一番納得できる道を選びました。

それがたとえ遠回りに見えたとしても、私にとっては“前を向くために必要な選択”でした。

Rino’s Choice|張りつめた心をやわらげてくれた、小さな暮らしのもの

大きな検査や、大きな決断の前後は、気づかないうちに心も体もずっと緊張しています。

そんな時期の私は、「元気になるもの」よりも、まずは少しだけ呼吸がしやすくなるものに助けられていました。

ここでは、そんな時間の中でやさしく寄り添ってくれそうなものを、暮らしの延長としてそっと置いておきます。

やわらかく体を預けられるクッション

病院のあとや、心が張りつめた日の夜は、何をするにも少しだけ疲れやすくなります。

そんな時、ソファやベッドにひとつ気持ちのいいクッションがあるだけで、体も心も少しだけ緩みやすくなります。

「ちゃんと休んでいい」と、自分に許可を出してあげるような存在でした。

部屋の空気をやわらげる、あたたかな照明

白く明るすぎる光は、心が疲れている時には少しだけしんどく感じることがあります。

そんな時、やわらかな間接照明やあたたかみのある灯りがあると、部屋の空気まで少しやさしくなる気がしました。

病院の無機質な空気から帰ってきたあと、自分の家だけは“ほっとできる場所”にしておきたい。そんな思いに寄り添ってくれるアイテムです。

ひと息つくためのコーヒーセット

何かを解決してくれるわけじゃなくても、湯気の立つ飲み物ひとつで救われる日があります。

好きなカップにコーヒーを淹れて、ただ少しだけ座る。
それだけの時間が、「今日もなんとかここまで来た」と自分を落ち着かせてくれることがありました。

慌ただしい毎日の中でも、自分を置き去りにしないための、小さな習慣になってくれるかもしれません。

気持ちの不安に備えたい人へ|選択肢として知っておきたいもの

病気や入院、治療の話が現実味を帯びてくると、「これから先のお金」や「もしもの時」のことまで、一気に不安になることがあります。

考えたくないのに、考えずにはいられない。
そんな気持ちになるのは、きっと自然なことだと思います。

ここでは、同じように不安を抱える方が「知っておく」という意味で、そっと置いておきたい選択肢をまとめておきます。

もしもの不安に備える「がん保険」という考え方

病気になって初めて、「治療そのもの」以外にも、思っていた以上にお金や生活の不安がついてくることを知りました。

すでに治療中の方には条件が合わない場合もありますが、これからの備えとして、あるいは家族のために考えたい方にとっては、こうした選択肢を知っておくことも安心材料のひとつになるかもしれません。

子どもの未来を考えた時に思い出した「備え」

今回のことを通して、私は何度も「子どもたちのこれから」を考えました。

自分のことだけではなく、大切な人の未来を思う時、人は“今すぐ必要ではないもの”にも目を向けるようになるのかもしれません。

たとえば、子どもや家族の将来に関わる備えや相談先を知っておくことも、そのひとつだと思います。

必要な人にだけ、必要なタイミングで届けばいい。
そんな気持ちで、ここにそっと置いておきます。

あの日の私に、今ならかけたい言葉

あの日の診察室で、私はたぶん、自分のことを少し責めていました。

もっと早く気づいていれば。
もっと体を大切にしていれば。
もっと、ちゃんと休んでいれば。

そんな“もしも”を、心の中で何度も繰り返していました。

でも今なら、あの時の自分にこう言いたいです。

「もう、自分を責めなくていいよ」

ずっと頑張ってきたこと。
無理をしながらも、毎日を回してきたこと。
誰にも見えないところで、何度も踏ん張ってきたこと。

その全部は、決して無駄なんかじゃなかったはずです。

だからこれからは、過去の自分を責めるよりも、ここまで耐えてくれた体に少しずつ感謝していきたい。

そして、これから始まる治療を乗り越えるために、まずは心を整えることから始めたい。

相手を変えることはできなくても、自分をどう保つかは、少しずつ選び直していける。

そのことを、私はこれまでの人生の中で何度も学んできた気がします。

今、その答えがあらためて試されているのかもしれません。

まとめ|転移がなかった安堵と、それでも残った不安の中で

この日の結果は、私にとって光と影が同時に差し込んだような一日でした。

転移がなかったことは、本当に大きな安堵でした。
けれどその一方で、左胸への不安や、体に見つかった小さな異変たちは、「これで終わりではない」という現実も突きつけてきました。

安心したいのに、安心しきれない。
前を向きたいのに、足元が少し揺れている。

そんな不安定な気持ちの中で、それでも私は「一次再建」という選択をしました。

それは、ただ胸の形を取り戻すためではなく、病気にすべてを奪わせないための、私なりの静かな意志だったのだと思います。

怖さが消えたわけではありません。
不安がなくなったわけでもありません。

でも、揺れながらでも、自分で選びながら進んでいく。
そのことが、これからの私を支えてくれる気がしています。

次回記事へ

転移はなかった。
その言葉に救われたはずなのに、診察はそこで終わりませんでした。

左胸への不安、そして他の臓器にも見つかった小さな異変。
さらにその背景には、父を亡くした直後という、心が追いつかないほど重なった現実がありました。

「なぜ、こんなにも続くのだろう」
そんな思いを抱えながら、私は“がん家系”という言葉からも逃れられなくなっていきます。

次回は、その時の心の揺れと、家族の記憶の中で向き合った現実について綴ります。

▶︎ 次回はこちら
乳がん体験談【第9話-②】他の臓器にも異変が?父を亡くした直後の告知と、逃れられない「がん家系」の宿命

この記事について

この記事は、乳がん治療当時の体験をもとに綴った個人の記録です。

治療内容や検査、再建方法の選択は、病状や体質、年齢、医療機関の方針によって異なります。
同じ病名であっても、受ける説明や進め方が同じとは限りません。

もし今、同じような不安の中にいる方がいたら、どうかひとりで抱え込まず、主治医や専門家と相談しながら、ご自身にとって納得できる選択をしていただけたらと思います。

この記録が、どこかで誰かの心を少しでもやわらげるものになれたなら嬉しいです。

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