私が一足先に退院を迎えた日。
胸に広がったのは、安堵ではなく、言葉にならない静かな孤独でした。
赤ちゃんを産んだのに、一緒に帰れない。
母親なのに、腕の中に我が子がいない。
「退院」という言葉の明るさとは裏腹に、私は大切なものを病院に置いて帰るような気持ちで、静かに病院の外へ出ました。
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離れ離れの退院。近いはずなのに、遠いNICU
同じ病院に我が子はいるのに、そこへたどり着くまでには、いくつもの扉と消毒の工程がありました。
命を守るために必要なルールだとわかっていても、その一つひとつが、私とあの子の距離を遠く感じさせました。
抱っこもできない。
泣いても駆け寄れない。
母親なのに、何もしてあげられない。
自宅に戻り、上の子たちと過ごしていても、心の半分はいつもNICUにありました。
笑っていても、どこかで「今どうしているだろう」と考えてしまう。
日常の中に戻っても、心だけはずっと、あの小さな保育器の中に置き去りのままでした。
深夜の着信。「今すぐ来てください」という現実
退院後、私がいちばん怖かったのは夜でした。
枕元に置いた携帯電話。
鳴らないでほしいのに、鳴らないと不安になる。
そんな矛盾を抱えながら、毎晩浅い眠りを繰り返していました。
静寂を切り裂く着信音。
画面に表示される「病院」の文字。
その瞬間、体の奥から一気に血の気が引くのがわかりました。
「赤ちゃんの容態が急変しました。今すぐ来てください」
何度聞いても慣れることのない、その言葉。
頭の中は真っ白になりながらも、最悪の想像だけははっきりと浮かび上がる。
深夜の道を、何度も往復しました。
往復4時間という距離は、長くて、でも祈るにはあまりにも短い時間でした。
街灯だけが続く暗い道の中で、私は何度も同じ言葉を繰り返していました。
「お願い、間に合って」
「どうか、連れていかないで」
あの夜の冷たい空気と、孤独と、恐怖は、今でも心の奥に残っています。
知らなかった、夫の決断と重さ
後から知ったことがあります。
私が入院している間、夫はひとりで、数えきれないほどの同意書にサインをしていました。
それはすべて、我が子の命を繋ぎ止めるための手術や処置に関するもの。
「サインする」という行為の裏には、命の選択がありました。
私は自分の痛みと不安で精一杯で、その現実をすべて受け止めきれていなかった。
でも夫は、父親として、誰にも見せない場所でその重さを背負っていたのだと思います。
重なる手術と、失明の可能性
生まれて間もない我が子に、いくつもの手術が重なりました。
心臓の手術。
そして、目の手術。
小さな体にメスが入るたびに、私は何度も思いました。
「代わってあげたい」
でも、代わることはできない。
母親であっても、何もしてあげられない現実。
特に左目は「失明の可能性が高い」と告げられました。
その言葉を聞いたとき、時間が止まったような感覚でした。
それでも、2度目の手術に希望を託すしかありませんでした。
祈ることしかできない自分の無力さに、何度も押し潰されそうになりました。
それでも――
あの子は、その小さな体で、何度も限界を越えてくれました。
Rino’s Choice|「帰れる日」を信じて、そっと揃えたもの
あの頃の私は、未来のことを考えるのが怖い日もありました。
でも同時に、「この子が家に帰ってくる日」を想像しないと、心が保てなかったのも事実です。
だから私は、少しずつ、未来のための準備を始めました。
ベビーサークル|“安心できる場所”を用意してあげたくて
退院後、この子が安心して過ごせる場所をつくってあげたい。
そう思った時に最初に考えたのが、ベビーサークルでした。
守られた空間があるだけで、親の不安は少しやわらぎます。
あの子が家で安心して眠れる未来を想像しながら選んだものは、どれも特別な意味を持つ存在になりました。
ベビー服セット|“着せてあげられる日”を信じて
NICUでは、普通の服ですら大きすぎるほど小さかった我が子。
それでも、やわらかなベビー服を見るたびに思いました。
「この服を着せて抱っこできる日が、きっと来る」
未来を信じるための、小さな支えでした。
ベビーシューズ|一緒に歩く日を想像して
まだ歩くことなんて想像もできないほど小さな命。
それでも私は、「いつか一緒に歩ける日」を信じたくて、小さな靴を見つめていました。
希望は、目に見える形にすると、少しだけ現実になる気がしました。
張りつめた心を、少しだけゆるめるために
あの頃の私は、常に緊張の中にいました。
気を抜いたら崩れてしまいそうで、無理やり気持ちを保っていたのだと思います。
だからこそ、「自分の心を少し休ませるもの」が必要でした。
HitoHanaのお花の定期便|ふとした瞬間に、心を戻してくれるもの
ふと目に入るお花の色に、どれだけ救われたかわかりません。
それは贅沢ではなく、ただ「心を戻す時間」でした。
HitoHanaのお花の定期便は、好きな色を選べることで、その時の自分に合ったやさしさを届けてくれる存在です。
カウンセリング|抱え込みすぎないための選択肢
強くいなければいけない。
母親だから、頑張らなきゃいけない。
そう思うほど、心はどんどん苦しくなっていきました。
誰かに少しだけ話すこと。
それだけで、呼吸がしやすくなることもあります。
奇跡の退院。そして知った「命の重さ」
4月に生まれた我が子は、長い闘いの末、ついに退院の日を迎えました。
それは奇跡的にも、本来の出産予定日だった8月の頃。
742gで生まれ、一時は520gまで減った体重も、3,000gを超えるまでになっていました。
そして、酸素が必要と言われていた呼吸も、退院直前には自力でできるようになっていました。
さらに、退院時に聞かされた言葉があります。
「この子の治療にかかった費用、知っていますか?」
NICU、手術、処置。
そのすべてを合わせて、約3,000万円。
そのほとんどが、社会の支えによるものでした。
この命は、私たち家族だけで守れたものではない。
たくさんの人の力で繋がれた命なのだと、深く感じました。
まとめ|小さな命が教えてくれたこと
4ヶ月間のNICUでの時間は、私にとって「無力さ」を知る時間でした。
でもそれ以上に、「人のあたたかさ」と「命の強さ」を知る時間でもありました。
不安は、今も消えたわけではありません。
それでも、あの子は今、ここにいる。
その事実だけで、前に進む理由になります。
退院の日、青空を見上げながら、私は静かに思いました。
「この奇跡を信じて、これからを歩いていこう」
次回予告|すべてを越えて、たどり着いた未来
次回は最終話。
520gから始まった命の軌跡と、子どもたちが教えてくれたこと。
すべてを振り返りながら、今の想いを綴ります。
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超未熟児【最終話】命の勲章を胸に。520gから始まった軌跡と、子供たちが教えてくれたこと
※本記事は個人の体験談です。医療やサービスの判断は、必ず専門家にご相談ください。

