【特別編:鼻の手術】乳がん告知の裏で起きたもう一つの限界。顔面の激痛と難病の疑い、そして忘れられない手術体験

人生の軌跡と体験談

※この記事は、乳がん告知直後の精密検査と並行して起きていた、もうひとつの闘病の記録です。
当時の症状や検査・治療内容は、あくまで私個人の体験に基づいています。

乳がんの精密検査が進み、副腎の影に怯えていたあの頃。
実は私の体は、もうひとつの限界を迎えていました。

それは、これまでの人生で受けた手術の中でも、間違いなく上位に入るほど強烈だった「鼻の手術」の記録です。

乳がんという大きな不安を抱えながら、その裏で静かに進行していた、もうひとつの異変。
今振り返っても、あの頃の私は、心も体も本当にギリギリのところで立っていたのだと思います。

異変の始まりは、風邪のあとにやってきた

異変が起きたのは、39度を超えるひどい風邪を引いてから、10日ほど経った頃でした。

私は大人になってから「気管支喘息」を患っていて、一度風邪をひくと、一気に体調を崩しやすい体質になっていました。

ただの風邪では済まない。
それはもう、何度も経験してきたことでした。

以前、風邪薬の副作用で激しい喘息発作を起こし、「救急車を呼んでもおかしくないレベル」と言われたこともあります。

それ以来、薬にはずっと慎重になりましたし、少しの不調でも「また悪くなるかもしれない」という不安が、どこかに常にありました。

そんな中、ようやく風邪が治りかけてきた夜。
右耳にだけ響く、妙な耳鳴りが始まったのです。

最初は、「そのうち治るかな」くらいに思っていました。

でも数日後、その楽観は一気に崩れました。

とにかく顔面が痛い。それは“ただ事じゃない痛み”だった

ある日を境に、右側の顔がズキズキと痛み始めました。

最初は違和感程度だったものが、あっという間に「これはおかしい」と思うレベルの痛みに変わっていきました。

頬の奥が重くて痛い。
目の周りがズーンと響く。
頭までガンガンする。

そして気づけば、まぶたと頬が、水ぶくれのように腫れ上がっていたのです。

鏡を見た瞬間、「これはもう放っておけない」と思いました。

ただの風邪の延長ではない。
そう確信して、私は地元で名医と評判の耳鼻咽喉科へ駆け込みました。

「難病指定かもしれない」と言われて、頭が真っ白になった

診察室で、先生が私の鼻の中を見た瞬間のことは、今でもよく覚えています。

先生の表情が、明らかに変わったのです。

そしてすぐに、こう言われました。

「状態がかなり悪いです。すぐ点滴をしましょう」

私はその時、てっきり蓄膿症(副鼻腔炎)だろうと思っていました。

痛みは強かったけれど、まさかそれ以上のことを言われるとは思っていなかったのです。

けれど先生は、さらに続けました。

「これは、難病指定にできるかもしれない」

その言葉を聞いた瞬間、頭が真っ白になりました。

乳がんだけでも精一杯だったのに、さらに“難病の疑い”まで

疑われたのは、好酸球性副鼻腔炎という病気でした。

鼻の中にポリープ(鼻茸)が多発し、再発もしやすく、嗅覚障害などを伴うこともある指定難病です。

鼻の中には、確かにたくさんのポリープができていたようで、その場で組織を採取し、病理検査へ回すことになりました。

「乳がんだけでも精一杯なのに、今度は難病まで……?」

そう思った時、心の中にたまっていたものが、一気に崩れ落ちそうになりました。

どうしてこんなに重なるんだろう。
どうして、次から次へと不安が増えていくんだろう。

副腎のこと、乳がんのこと、それだけでも十分すぎるほど心がいっぱいだったのに、そこへさらに別の病名の可能性まで重なってきたあの頃。

今思い返しても、あの時の私は、自分でも驚くほど心がすり減っていたと思います。

難病ではなかった。でも、そこで終わりではなかった

2週間後。
病理検査の結果は、幸いにも「難病ではない」とのことでした。

その言葉を聞いた瞬間、心の奥でぎゅっと固まっていたものが、少しだけほどけた気がしました。

でも、完全に安心できたわけではありませんでした。

炎症の状態がかなり悪く、このままでは治らない。
つまり、手術が必要だったのです。

しかも、それは想像していたよりずっと本格的なものでした。

受けることになったのは、3つの鼻の手術

私が受けたのは、次の3つの処置でした。

  • 鼻内内視鏡手術
  • 鼻内篩骨洞手術
  • 鼻内上顎洞開放術

当時の私は、正直そこまで深く考えていませんでした。

「鼻の手術だし、そこまで大変じゃないだろう」

そんなふうに、どこかで軽く考えていたのです。

でも今なら、あの時の自分に全力で言いたいです。

「それ、全然軽い手術じゃないよ」と。

人生トップクラスの激痛。悶絶の1時間が始まった

手術が始まってしばらくした頃までは、まだ何とか耐えられるような感覚でした。

でも、それは本当に最初だけでした。

じわじわと広がる違和感が、やがてはっきりとした痛みに変わっていきました。

そして気づいた時には、顔の奥から頭まで響くような、耐えがたい激痛になっていたのです。

歯医者で神経を触られた時のような痛みが、顔面全体に広がった

うまく言葉にするのが難しいのですが、一番近いのは、歯医者で神経に触れられた時の“あの嫌な痛み”でした。

ただ、それが一点ではなく、顔全体に広がっていく感じ。

頬の奥、目の周り、鼻の奥、頭の芯まで。
全部が一気にズンと響いてくるような、逃げ場のない痛みでした。

私は思わず、何度も声を上げてしまいました。

「痛い! 痛い!!」

大人なのに、そんなことも考えられないくらい、ただただ痛かった。

手術中、先生からはこう言われました。

「目の近くの骨を削っていますよ」

その言葉と同時に感じる、骨が削られるような不快な振動。
あの感覚は、今でも忘れられません。

恐怖と痛みが一気に押し寄せてきて、気づけば私は、小学生みたいに泣きそうになっていました。

後から知ったのですが、鼻の手術は「思っている以上に痛い」と言われることも多いそうです。

もし事前にそのことをちゃんと知っていたら、私はきっともっと怖がっていたと思います。

だからこそ今では、知らずに受けたからこそ乗り越えられたのかもしれない、とさえ思っています。

手術が終わっても、不安は終わらなかった

ようやく終わった、1時間の地獄。

「やっと終わった……」

そう思ったのも束の間、術後の先生の表情はどこか晴れませんでした。

そして、こんなふうに言われたのです。

「取った組織の状態が、あまり良くないんです」
「見たことがない、少し嫌な感じがするので、もう一度詳しく病理検査に出します」

その瞬間、また胸の奥が重たく沈みました。

やっと手術が終わったのに。
やっとひとつ終われると思ったのに。

それなのに、また「検査」。
また「結果待ち」。
また「悪いものかもしれない」という不安。

乳がん、副腎、そして鼻。

どの科に行っても、「ちょっと気になる」「あまり良くない」「詳しく見ましょう」と言われ続ける毎日は、本当に心が削られていきました。

あの頃の私は、表面上は普通に振る舞っていても、内側ではかなり限界に近かったと思います。

Rino’s Choice|通院や検査の不安を少しだけ軽くしてくれたもの

病院通いが続く時期って、体のしんどさだけじゃなく、気持ちの消耗も想像以上に大きいですよね。

待ち時間、急な連絡、雨の日の通院、音や人の多さ。
ほんの小さなことでも、その日の負担が大きく変わることがあります。

ここでは、そんな時期に「こういうものがあると少し楽かもしれない」と感じたものを、やさしく残しておきます。

軽量モバイルバッテリー|長い待ち時間の“安心”を持ち歩く

病院では、予約時間通りに終わるとは限りません。

待ち時間が長引いたり、検査が追加になったり、家族と連絡を取る場面が増えたり。
そんな時、スマホの充電が減っていくのを見るだけで、気持ちまで落ち着かなくなることがありました。

だからこそ、軽くて小さなモバイルバッテリーがひとつあるだけで、かなり安心感が違います。

“何かあった時も大丈夫”と思えるだけで、心の余白って少し増えるんですよね。

ノイズキャンセリングイヤホン|病院のざわつきから少しだけ離れるために

病院の待合室って、意外と音の情報が多いです。

呼び出し音、人の話し声、足音、テレビの音。
体も心も弱っている時ほど、そういう小さな刺激がしんどく感じることがありました。

そんな時に、ノイズキャンセリングイヤホンで好きな音楽や落ち着く音を流すだけで、ほんの少し“自分の空間”を取り戻せることがあります。

完全に遮断するためではなく、自分を守るための小さな壁として。
こういうアイテムって、想像以上に助けられる場面があります。

超軽量折りたたみ傘|突然の通院や検査の日に、荷物を増やさないやさしさ

通院や検査の日って、ただでさえ荷物が多くなりがちです。

書類、お薬手帳、飲み物、羽織りもの。
そこに天気まで崩れると、それだけでちょっと気持ちが沈んでしまうこともありました。

そんな時、バッグにすっと入る軽い折りたたみ傘があると、それだけで少し身軽になれます。

大きな支えではなくても、“余計なしんどさを減らしてくれるもの”って、こういう時期には本当にありがたい存在です。

心が限界に近い時こそ、「ひとりで抱えない」選択肢もある

病気のことって、家族や身近な人に話していても、なぜか心の奥までは整理しきれないことがあります。

「こんなことで不安になるのは大げさかな」
「もっと大変な人もいるのに」
そうやって、自分の気持ちを後回しにしてしまうこともあるかもしれません。

でも本当は、病気そのものだけじゃなく、“不安を抱え続けること”自体がとても消耗することなんですよね。

カウンセリングという“心の休憩場所”も、ひとつの選択肢

心がいっぱいになっている時って、「誰かに整理してもらう」だけでも、少し呼吸がしやすくなることがあります。

家族や友人には言いにくいことでも、第三者だからこそ話せることって、意外とあるものです。

無理に頑張るためではなく、これ以上心を削らないために。
もし今、気持ちが限界に近いと感じているなら、カウンセリングのような場所を選択肢のひとつとして知っておくのもいいかもしれません。

あの激痛を越えたことが、あとから“心の筋肉”になっていた

鼻の手術を振り返るたびに、今でも思います。

「知らずに受けたのが、ある意味では正解だったのかもしれない」と。

もしあの激痛を事前に詳しく知っていたら、私はきっと恐怖で逃げ出していたと思います。

それくらい、本当にしんどい手術でした。

しかもそれは、乳がんの治療を控えた時期と重なっていました。

当時は、何度も思いました。

「どうして今なの?」
「どうしてこんなに重なるの?」

でも今振り返ると、あの時の経験は、ただつらいだけのものではなかったのかもしれないとも思うのです。

あの激痛を越えたこと。
あの不安を越えたこと。
結果が出るまでの時間を、なんとか耐えたこと。

それら全部が、あとから振り返れば、乳がん治療に向き合うための“心の筋肉”のようなものを、少しずつ作ってくれていた気がします。

まとめ|私の体、本当によく頑張った

乳がんの精密検査と並行して起きていた、鼻の異変。

耳鳴りから始まり、顔面の激痛、難病の疑い、そして人生トップクラスの激痛手術へ。
今振り返っても、本当によくあの時を乗り越えたと思います。

もちろん、当時の私はそんなふうに前向きには思えませんでした。

ただただ不安で、怖くて、しんどくて。
「これ以上、もう何も増えないでほしい」と願うことしかできなかった日もたくさんありました。

それでも、あの時の私は確かに耐えていた。
ちゃんと痛みに向き合って、検査を受けて、手術台に上がって、ひとつずつ越えてきた。

そう思うと、今はただ、自分にこう言ってあげたくなります。

私の体、本当によく頑張った。

そうやって自分を少しずつ認めてあげられるようになるまで、あともう少し。
でも、その“あともう少し”の途中にいる今の自分も、ちゃんと大切にしていきたいと思っています。

次回記事へ

鼻の手術を終え、少しだけ落ち着けるかと思ったその先で、私はまた新たな現実を突きつけられることになります。

大学病院への転院。
そして、そこで告げられたのは、まさかの「手術は半年先」という言葉でした。

待つべきか。
急ぐべきか。
私はその時、大きな決断を迫られることになります。

▶︎ 次回記事:
乳がん体験談【第10話】大学病院への転院と「手術は半年先」という衝撃の事実。私が下した賭け

この記事について

この記事は、乳がん告知直後に並行して起きていた鼻の不調・検査・手術についての個人の体験談です。

症状の現れ方、検査内容、治療方針、痛みの感じ方には個人差があります。
気になる症状がある場合は、自己判断せず、必ず医療機関へご相談ください。

また、記事内でご紹介した商品やサービスは、当時の私の生活や気持ちの中で「こういうものがあると少し助かるかもしれない」と感じた選択肢のひとつです。
すべての方に合うとは限らないため、ご自身の体調や状況に合わせてご検討ください。

タイトルとURLをコピーしました